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今まで私が行った徳川家家臣のお墓はどれも行きづらい場所にありますが、これは例外的に行きやすい場所にあります。駅から5分!本宗寺にある石川数正のお墓。 ‥が、お寺の方にお話を聞いたところ、この墓が数正の墓であるという証拠はないとのこと。 実はこの墓、近くの山の中にあった昔のお墓を某有名作家が数正のものであるとなぜか断定、ここに移したものだそうです。なんだかなあ 。数正は京都の河原で火葬にされた、とものの本にありますので、 「きっと本当は京都のどこかのお寺に葬られたんじゃないですか。(兎川寺のご住職・談)」 というお話でした。 私はそもそも大河ドラマ「徳川家康」の、江原真二郎さん演じるあまりにせつない石川数正に惹かれてこの時代に興味を持った人間なので、ここには二〜三回行っていますが、いつもお花が供えてあって「大切にされてるな」という印象をうけます。 彼のドラマチックな出奔劇は謎が多いだけに、いろいろな想像をかきたてられずにはいられません。 なぜ彼は秀吉の元へ走ったのか。 ある人は主君や家臣の頑迷さに愛想をつかせたからだといい、 ある人は主君と秀吉とをつなぐパイプ役になるため心ならずも降ったのだといい、 ある人は徳川家の中で自分の立場が危うくなったため、秀吉の元で再起を図ろうとしたのだといい‥。 主君への忠勤の激しさで天下に知られた三河武士。 その中でも最も古くからの譜代家臣の家柄であり、しかも西三河一帯を家康から任されていた重臣であった数正。 戦国の世では主を変えるのは当たり前とされていますが、彼の生きてきた世界の中では「出奔」という裏切り行為は、他者とはまったく違う意味を持っていたと思われます。 どんな気持ちで出ていったのか‥。 見る側の人生経験や年齢、立場などで色々数正観が変わるのが数正の面白いところであるともいえます。 お墓が死者を偲び、自分を見つめる場所なのだとしたら、中に遺骨があるかないか、その墓がその人物のものであるかないか、そんなことは案外どうでもいいことなのかもしれません。 |
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